リードの「挑戦の歴史」

大工から始まった「挑戦の人生」


リード代表取締役 石田晶ニ、彼は18歳で母の為に家を建てた。
16歳で大工に弟子入りしてからたったの2年で。
必死で修業し、勉強に励み、彼はほとんどの技術をその短い期間で身につけてしまったのだ。
貧しい中で自分を育ててくれた母のため、たった一人で家を建てた晶ニは、
「何事も目的を持って本気で取り組めばやれないことはない」
そう知った。
挑戦の人生の始まりだった。

シートカバーリースにいきつく過程

その後、繊維工場に就職した晶ニ。
働きながら「自分ならもっと違う方法でこの会社を大きくできる!」と思った。
だから社長に、自分に任せないか提案してみたのだが断られた。
ならば!と辞めて自分で始めることにしたのだ。
そこでまた挑戦が始まる。

晶ニは仕事をする中で流通機構に疑問を感じ、危惧していた。
問屋を通して膨大な量の仕事はあるが、問屋だけが儲かっていて利益が少ない。
問屋に頼らない独自の商売を考えないと明日はない。
その考えから、繊維関係の仕事は軌道に乗っていたがこの仕事を切り上げることにした。
晶ニは「自分が描く青写真通りに走っていきたい!」という想いが強かった。

今度は繊維関係に関連して、クリーニング屋を始めた。
するとある時、自宅向かいのタクシー会社社長から「タクシーのシートカバーを作ってくれないか?」という依頼を受けた。
リードのシートカバー誕生のきっかけである。
当時の自動車のシートカバーは自動車会社のルートでしか手に入らないものだった。
今までの経験や技術から、何とかタクシー1台分のシートカバーを作って晶ニが感じたこと。
「これは新しい商売になるんじゃないか?」
という新たな挑戦へのひらめき。
そして必死で考え抜いて思い付いたのが、シートカバーを売るのではなくリースするという仕組みだ。
そうすれば定期的な交換により、常に清潔さを保てる。
クリーニング屋を営んでいたことでシートカバーとセットに出来るという考えにいきついたのだ。

それからは採算度外視でとにかく地道に営業活動を重ねた。
「リース」という仕組みに自信があったので、まずはとにかく使ってもらうこと。ただそれだけの想いで営業に励んだ。
必要のないモノを必要としてもらうことの難しさ、シートカバーというもの自体が一切使われていないところからのスタートは厳しいものだったが、少しずつ名古屋地区で使ってもらえることに。
その頃東京へも売り込みに行き、たった2台の契約の為に赤字で往復したりした。けれどそこから輪が広がったのだ。
大きな影響のひとつに、高価な和服を着た“夜の”女性達からの支持があった。
「カバーの掛かっている車を寄越してください」
シートカバーの持つ清潔さが必要とされたのだ。

マーケット開発は男のロマン、という晶ニは「日本中のタクシーを白く染めてみよう」の精神で日本全国の販路を開拓した。
今ではタクシーにシートカバー、というのが常識に。晶ニの挑戦はまた実を結んだ。

所有する価値観から、使用する価値観へ

シートカバーリース事業が軌道に乗り始め、次の事業を考え始めた晶ニが気がついた事。それは、使用することで価値が生まれるもの。所有の必要がないものが他にも数多く存在しているということだった。
リースではその「使用する価値」だけを利用できる。環境にも優しい優れたシステムとなる。この発想は晶ニの、そしてリードの事業展開の基本となった。

技術も設備も自ら創っていく、というリードの姿勢も挑戦のひとつだ。
いつまでも白く、そして耐久性・伸縮性等こだわり抜いたスーパーSR糸をユニチカと共同開発したのも挑戦だった。
たくさんの画期的な製品やサービスの開発に挑戦してきたリード。
これからのリードも挑戦を続け、業界を「リード」します。